六月十六日
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LIFE IS PICNIC
- SHORT STORIES -
ある年末の風景
自分の歳も、五十代も半ばを過ぎた。親父がそのころには、自分の歳は二十三。正月で家には帰っていなかったなあ。
SCENE1 年の終わりに向かって
二十六日。午後九時五分。駅前の神社で、火の用心の見回りの人たちが火に当たってる。
「火の用心。…火の用心。…」
少し離れたところから声が聞こえる。ということは、この人たちは、出番を待つひとたちか。
「あ、これはこれは、酒ではありませんよ。これをくいっと飲むと、ああ、うまい。…水が」
なんて、落語の「二番煎じ」みたいなことはしていないと思うけれど、こういう習慣、人間関係がいまの時代にもあるかなあ、なんて思えるだけでも、よいものを見た感じがする。
明くる朝、二十七日。六時三十八分、今日から年末のお休みで、河川敷の散歩。ラジオを鳴らしながら、ラジオ体操をしている集団あり。第二体操に入ったあたり、遠巻きに参加する。空に向かって、腕と胸を広げる体操。そうやって、天を仰いでいると、空からなにかが、神々しく降りてくる、そんな感じがしないこともない。
市場と年末 昨日は、二子玉川に買物で来て、時間切れで、予定していた用事は消化できずにわ道半ばで帰り、残念な思いをした。地下街の食材スーパーには、出入口に警備員が入って誘導をしていたり、本屋はざっと五十人待ち、いつもは勘定しながらビールを飲む酒屋のカウンターは、宅配便の集荷待ちの荷物で封鎖されていた。買い物はあきらめ、早々に退散した。
気を取り直して、今日は翌日の十二月二十九日。九時十五分に着いて、虎視眈眈と開店待っている。かき揚げそばを食べて、マクドナルドのコーヒーで身体を温める。
ふと、小さいころ、父親と行った年末のアメ横を、脈絡もなく思い出す。まだ、だみ声のおじさんはそこかしこにいたし、まだバナナ売りを見ることもできた。そんな昭和な時代。ひごろから、金を使うのが嫌いだった父親だが、このときだけは、マグロのサクや、荒巻じゃけ、冷凍のかになど、手早く買っていた。私の好物の筋子も。
家に帰ると、マグロもしゃけもかにも自分で切って出してくれた、ように記憶している。マグロは少々、筋張っていたり、かには質より量を重視のものだから、サイコーの味ではないけれど、特別な食べ物だった。
ぼくのついていかないときにも、マグロやら、かにやらを父親が買ってくるのは、我が家の年末のできごとだった。そのときは、なんでわざわざ遠くから(電車で一時間半以上かかる)、普段しない買物をしてくるのか、よく理解できなかった。そんなに、これがたべたいのかと不思議でもあつたけれど、いまはなんとなくわかる気がする。
年末とエアポケット (二子玉川の買い物のつづき)午前十時。ショッピングセンターが開店すると、まずは、お菓子売り場に直行。田舎の親戚にお菓子を送ってからすぐさま書店へ。まだ、空気は澄んだままでいる。
次は本屋。久びさの本屋で、あちらこちらで本たちが手に取ってくれと呼んでいる。親鳥を待つひな鳥のように。友人のおすすめも含めて、単行本二冊、雑誌一冊を買って、清算。本屋のレジでは、清算を待つ人が数人。昨日の午後には五十人待ちだったから、朝来たかいはあった。
喫茶店でも、朝の恩恵にあずかり、人はまばらだった。ガラスに囲まれた二階の喫茶店の、向かいの道路に自動車の行き来の見える一画に席を取り、ホットワインを飲む。
本を開いて、三行読んで、ひと口飲めばほんのりシナモンの香り。鼻に残った香りを感じながら、宝の地図を盗み出した冒険のような心持で、先を読みすすめる。
筆者の青年のころの本に対する思いに、自分は、そのころどうだったかとおもいかえしてたり、飼い犬の話には涙で、暮れの昼間、バツが悪くまごまごしたりで、一杯飲む間に、筆者の体験を通して、筆者との、自分との対話をした感があった。胸のあたりがほの暖かくなったところで店を出た。
※ ※
ふと、思い出す。
ホットワインはといえば、三年前の十一月、デンマークのクリスマスマーケットで、ホットワインを飲んだときのことを思い出す。
それは、クリスマス前の仮設マーケットでのできごと、十一月中旬のことだった。地元のデンマーク人の案内で、クリスマスマーケットが始まった最初の週末だった。朝は、七時半になるとようやく明るくなってくるころの季節だった。既製品や手作りの品々の並ぶマーケットをまわった後、多くの人の集まる野外のスタンドに連れられて、ホットワインと、まあるいドーナッツのようなものを注文した。その丸いドーナッツのようなお菓子は、ホットワインと一緒に食べるものとおしえてくれた。冷えた手に、ホットワインの温もりを感じ、それを飲めば、ぎゅーっと固くなっていたからだと心が、ほんのり暖かく、ほぐれていくのだった。
さて、今日の東京はセーターにマフラーで十分な陽気。
次のホットワインは、身体の芯の冷えるようなときに飲むのもいいかと。
SCENE2 立ち止まって、年末
我が家の「ネコのテカスーズ」は、注文待ち。なかなか依頼はないらしい。
午前六時十五分。朝焼けに見とれて、こちらは丸子橋から、隣りの向こう側にある、新幹線と湘南新宿ラインの陸橋を眺めている。
鉄道陸橋を渡って、北から南へと電車が走っていく。遠く聞こえる電車の音は、余計に小さく遠くなって、右側の耳にかすかにわだかまりを残していく。プールから上がった時のように、けんけんで跳んでみると、耳にかかった膜がなくなるようにすっきりする。
あたりは、茜色が失せて、すっかり明るくなっている。
寒灯や同じ石なし石畳 ーー どの年も、同じ年などはないでしょう。心待ちにするひとときも、さまざまなことでしょう。
前のデンマークの滞在の折、訪れた農家の横の石畳。自転車など、ぐらぐらしてしまいそうなゴワゴワした石が敷きつめてある。石の形、色、すき間はまちまちで無骨だ。しかし、一方、ひとの手のかかったものであることがかいま見えて、あたたかみがある。
この年は、デンマークの友人からアドベントカレンダーを土産にもらった。それはクリスマスまでの一日一日の日付のなかに、キャンディやチョコが入ってるカレンダー。一日ごとに、日付のふられたポケットを開けていく。ぼくのもらったものは、ロウソクになっていて、一日ごとに1〜25の目盛りがあった。
年末、「もういくつ寝るとお正月」なんて時期に、年賀状書きをしているひととき、デンマークでもらったアドベントカレンダーことを思い出し、一年のなかの節目を心待ちにするものがあるのはいいものではないかと思うのです。
2014年〜2019年12月、多摩川周辺、デンマークなど。